やまやま倉庫

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メモ:正しく嫌うということ ② 〜 自分を嫌う

先日の記事の続きです。

メモ:正しく嫌うということ ① 〜 嫌いなものを嫌う - やまやま倉庫

 

つい最近、ちょっとしたきっかけで、私が自分の感情や欲求を抑圧している事実から目を背けているのでは?という疑念を抱いた。私はいつも自身の脳内を言語化するようにしているのだが、言語化はあくまで一対一対応の写像ではないので、言語化によって脳内を整理することは常に欠落を抱える手続きである。この欠落を意図的にコントロールして、認識すべき自己の感情を歪めていた容疑が私にかかったのだ。

この疑いがかかって、私は初めて自分を正しく嫌う必要性を認めた。それまでは、どこかでそれをできているつもりになって、自分は自分を好きであると言い聞かせていたように思う。それは今までのどこかで必要な虚偽だったと思われるが、自分を好きでいなくてはならない頃よりずいぶん余裕を獲得して、今に至った。

さて、前記事からここまでが今回のメモの前置きである。自分を正しく嫌ってみて、明かされたものが何であったか忘れないための記事を書こうという趣旨だ。だったのだが、分けたり日を跨いだりで備忘録としての価値が薄れつつある。頭悪いのかな?ここから先は文字通りメモになるので、乱長文が目立つと思われるが、ご容赦願いたい。

まず自分を咀嚼するに当たって、幼少期の自分を思い返してみた。小学校低学年くらいまでの自分は、およそ野菜と怖いもの以外はなんでも好きだったと思う。自分も含めた好きなもので自分の世界が満たされていて、好きなことだけして生きていた。人より少しばかり勉強が得意だったので、進んで難しい物事に触れていこうとしていた。それで褒めてもらうのを喜んでいた。それと少し目立ちたがりだった。運動が嫌いではないが得意でもなかったので、それ以外で活躍しようと舵を切っていた。うん、当時の私は何も考えず自分を好きでいたと思う。

小学校の半ばから、勉強ができて目立ちたがりで、先生の言うことをよく聞く私は周囲から疎ましがられ、何度かいじめに遭うことがあった。同級生は「ちょっと悪いこと」にはまりだし、少しずつエスカレートしていく。この頃から、ルールを守らない人はルールを守る自分のような人に攻撃的になるのだろうと思い、敵視していた。さらに、そのような人たちが総じて自分より勉強が不得意だったため、頭が悪いからそうなるのだと決め付けていた。自分の勉強が得意であることに希望を見出し、私は嫌いな人種とは明確に別の存在であると距離をとった。当時のこの処方は一応有効で、周りを憎むことはあれど自分を嫌いになることはなかった。別の存在なので。つまり危うさはあったが、まだ自分のことが好きである。

中学校に上がって、周囲の「ちょっと悪いこと」は勢いを増す。私はといえば、成長期で体が大きくなって基礎体力が向上したり、部活で音楽を始めて友人をたくさん獲得したりと、順当な中学生活を送りつつも、依然として周囲から攻撃的な視線を浴びているように感じることも多々あった。私の勉強好きはここらでピークを迎え、勉強の過程や結果で新たな環境に入り、そこで友人を得るような経験もできた。学校で勉強することに止まらず、図書館で専門分野のハードカバー本を読み漁ることすらあり、物理学にハマり始めた。「音楽を通じたコミュニティ」、「勉強の結果で得られたコミュニティ」がそれぞれ形勢され、好きな人を私にたくさん提供してくれた。その過程で恋愛沙汰も起こし、これは見事に玉砕した。その事件を経て、自分は今のままではダメなのかもしれないと考え始めることになった。それまでの自分を嫌いになる最初の兆しが、ここにあったのかもしれない。とはいえ、勉強が得意な自分でいれば周囲の嫌いな人たちと別の存在でいられたことには変わりなく、人当たりとか言動とかが自然になればいいかな、くらいの微調整が望まれていた。ここでいう”微”調整は現在の視点であり、当時はそれだけで周囲に同化するのではないかという恐怖がけっこうあった。そのためこの微調整に際して、自分が周囲とは違うという刷り込みは加速されたように思う。優秀であることが、周囲の嫌いな人とも親しく振舞うことへの免罪符であった。うーん、自分が好きだったかどうか怪しくなってきた。優秀な自分はまあ好き、嫌いな人と似たような言動してる自分は嫌いだったかもしれない?あくまで自己認識の上では自分が好きなつもりではあった。

高校に入学した。優秀だったので自分が一番行きたかった高校に推薦で合格できた。この環境は今までと圧倒的に違っており、何より暇つぶし感覚で犯罪を犯す人が身の回りにいない。ちょっと真面目だったり、勉強をしていたところで異端にみられることもない。していなくてもみられなかったが。ここで私は、今まで通り優秀な自分を信じていろいろガムシャラにがんばっていればよかったんだと思う。しかし、地元の何の変哲もない公立中学と都内有数の進学校の勉強料の差には面食らった。特に英語は中学で満足できたレベルがまったく足りておらず、序盤から大きく突き放されていた。このときの私は、頑張った上に自分の優秀さが否定されるという事態を危惧したのか、今までできていた程度の勉強量をすぐさま放棄した。労せずして暫定非優秀に甘んじた。数学は中学時代に高校の内容も勉強していたので、部分的に優秀な結果を出して尊厳を保った。それも長くは続かず、一年の終わり頃には優秀と対極にいた。努力と引き換えに私は、集団の中で自分の存在感が放たれていればそれでよいという妥協を繰り返していた。優秀じゃないだけである程度目立つので、それ自体難しくはなかった。一方でただ頭の悪い人は、当時の自分の基準では嫌いな人なので、自分がそうなることをおそれて、勉強以外で優秀であろうとした。全国規模の物理系コンテスト予選で悪くない成績を出したり、音楽系の部活で練習を頑張ったり。そして気付いたら私は部長をやることになり(というか自分で志願して)、ついに自分の能力証明に他人を巻き込むことになってしまった。自分が信頼されるのが嬉しい一方で、とても不安だった。そしてこの不安は的中した。私はもう頑張り方を忘れていた。このときの部活の人には本当に迷惑をかけたと思う。自分が優秀だと信じたかったやつがリーダーになって、そいつは優秀でもなんでもなくて、責任を背負えるような人間ではなかった。今私は、このときの私が明確に嫌いだ。それでも当時の私は、それ以前より大きく恵まれた友人たちの中で、存在していたかった。自分の組み上げた価値が大きく揺らいでいて、崩壊しそうなことがおそろしかったので、自分を人に露出させたくなくなっていた。それがまた大きく迷惑をかけることにつながった。

私は罪深かったが、私を囲う友人たちは基本的に私を拒絶しなかったし、変に持ち上げることもしなかった。ただ友人であり続けていてくれた。自分に友人としての価値があると思えなかったので、いつ見切りをつけられるかもわからない恐怖があり、自分勝手に萎縮していた。2年間前後、このような不安定な精神状態でいたと思う。その間、本当に文字通り潰れていたり、優秀さとは別の土俵で自己をアピールしたり、稀に局所的な優秀さを残したりしながら、自分の価値が暴かれることをおそれていた。当時はもう大好きな物理や数学すら頑張っていない。優秀さを示す道具に成り果て、頑張ることは暫定非優秀と暫定優秀の間の壁を取り払う行為だったからだ。周囲の支えがあり、なんとか部長の任期を終えた。この頃から、なぜ周囲が支えてくれるのか、友人であり続けてくれているのかが本当にわからなくなっていて、そのことばかり考えていた。人にきいて回ったりもした。この泥臭い情報収集は意外にも効果があって、友人ひとりひとりが私に期待している私像が全員バラバラであることがわかった。私が私に求める私像とも少しも一致しなかった。この情報は私の肩の荷を少しばかり軽くし、ただ周りに愛してもらえることに感謝し、そうあれる自分であるよう努めようと思えた。そうすることでしか、友人を失わずにすむと思えなかった。

私の本当にタチの悪いところは、この期に及んでまだ自分は自分が好きな生き物だと呪いのように自分に言い聞かせていたことだ。この呪いがどこから生まれていたのかは定かではないが、自分が好きでない自分を抱えて生きる意味はない、というような思想を長らく持っていた気がする。この強烈な呪いのせいで、高校以降の私はひどく迷走した。今もしているかもしれない。ただ何はともあれ、「人に愛されることで価値を担保された自分」を全面的に肯定する形で、私は高校生活を終えた。

自分を愛してくれる人々を獲得していたので、大学に入ってから大きく迷走することはなかった。しかし依然として、物理や数学に全力を出すことはできなかった。中学当時からの感覚が生きていたので楽しいと感じることはできていたが、本当に楽しかったらもっと勉強していたと思う。道具に成り下がった学問は、喉の通りが悪かった。不安定さはない中で、大学で学んだ人生訓も多かった。最大のひとつはこのメモの題でもある、正しく嫌うということである。多様な人間の中でコミュニケーションを成立させるには、人を正しく嫌う必要があった。

さて、長きにわたって自己評価の変遷を振り返ったわけだが、いよいよ現在の自分を評価する時が来たようだ。私は今でも多くの友人に恵まれており、その存在に支えられている。そんな友人たちに愛される自分は、とても好きだ。でも結局、どんなところが愛されているのだろう?勉強が優秀な自分、はとっくにいなくなった。不勉強な自分は嫌いだ。大学院生はもっと勉強するべきだ。物理学も本当に美しい学問だと思っている。中学終わり頃から育ててきた、気さくな自分、これは結構好きだ。石ころみたいに顔をしかめて真面目に生きていても、今のような友人関係は望めなかっただろう。親しみやすさは得だ。勉強以外のことで、細々とした優秀さを時たま発揮する自分、これは好きっちゃ好きなんだけど、いつも本気出してくれないかなとも思う。実は大学に入ってい以降もしばしば懲りずに自分を重要な役職へと追いやっていた。大学ではあまり致命的な雑魚っぷりを発揮してはおらず、最低限の活躍はできたと思う。だが頑張り方にやはりムラがあるのだ。つまるところ、怠けているときの自分は嫌いだ。本当に改善したい。音楽をやっている自分は好きだ。すごく上手なわけじゃないけど、楽しいし、自己表現とは切っても切り離せない人間になってしまった。じゃあ自己表現と切っても切り離せない人間な自分は・・・・難しいな。目立ちたがりはそこまで悪いことじゃないと思うし、嫌いじゃないかな。野菜が嫌いな自分は、嫌いだ。なんでも好き嫌いせず食べる方がえらいのは間違いない。野菜が嫌いなことでキャラ立っちゃってる自分はぶっちゃけ好きかもしれない。それはそれとして食べろよと思っています本当です許してください農家の皆様。

こうして列挙してみたが、思っていたより自分は自分のこと好きなのかもしれない。重役をこなしたことで、高校時代に強烈に感じた(上で秘匿していた)自分への嫌悪感が払拭されたことは大きい。がんばってみてよかった。自分の中に、明確に嫌いな部分、好きな部分、どうでもいい部分がたくさんある。総合的に好きか嫌いかでいったら、やっぱり自分は人を嫌うことが嫌いなので、緩やかに好きに転じていくだろう。しかし、嫌いな部分を直視することをやめないでいようと思う。そうでなければまたきっと同じ失敗を繰り返し、袋小路な価値の模索を始めてしまうだろう。そして自分の好きなところを、少しでも失わないように守っていこうと思う。(これを書いている途中でも、前より少し気楽に物理やってる自分がいて、また少し自分を好きになれそうでうれしい。)オチとかないんですけどメモなのでこれで終わりです。