やまやま倉庫

雑多な趣味を気ままに書き置きするブログです。

TOYGER Cup (7/10) 大会レポート

TOYGER Cup in 柏

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64人規模のスイスドロー5回戦+予選上位3名によるエキシビジョン的なやつ

使用構築

悪パーフェクション

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ベースは自分がポケカを始めたときに組んだものです。何使うかだいぶ迷いましたが、環境の立ち位置も悪くなかったので信じて投げてみることに。細かい点は最後の総評で。

1戦目 ベロベロらんぶ ジャンケン負け 後攻

サイド1-0で勝ち

相手がベロリンガだけ置いてターン渡してきたのでデッドムーンGX宣言、そのまま返ってきてレッド&グリーンから技撃ってポケモン切れで勝ちました。

余談ですが、この初戦の方とプレイマットが被っていてとても仲良くなりました。このあと3-1 → 3-2 という惜しいところまで上がったすごい人だった....。

2戦目 黒馬マホイップ ジャンケン負け 後攻

サイド6-3で勝ち

メガヤミラミ&バンギラスGXでスタートして戦々恐々としていたらお相手黒馬スタートで安堵。後2で無傷で黒馬Vmaxをとるも、返しでガラルフリーザーを絡めつつヤミバンを取られ窮地に。1エネデッドムーンGXで時間稼ぎ、2体目のマニューラGXにレッド&グリーン当てる準備しつつボスで裏の黒馬Vmaxを呼び出して起きました。その後かざりつけされて仕留め切れず、ガラルファイヤー前で祈りながら番を返し、ボス飛んでこなかったのでボスで黒馬呼んでオーラバーンで勝ちました。

3戦目 黒馬 ジャンケン負け 後攻

サイド3-6で負け

初手にヤミバンorガラルサンダーVで、迷いつつサンダースタートしたら黒馬で泣いた。

相手がガラルサンダーVを準備し出したのでミュウツー&ミュウGXでデデンネGX狩り。しかし返しでガラルフリーザー絡めてワンパンされ、その後巻き返せずガラルサンダーVにブラッキー&ダークライGXを狩られ負けました。こちらのサンダースタートが致命的に弱かった....。ブラッキーダークライも出しておく必要がなかったので、プレイの甘さが出た負けでした。

4戦目 ミラー ジャンケン負け 後攻

サイド0-6で負け

マニューラGXが2枚ともサイドに落ちて何も出来ずに負けました。構築の甘さに不運がぶっ刺さった。たぶんマニューラGXいてもこのミラーで後攻から勝つのちょっときついです。

5戦目 ミラー ジャンケン勝ち 先攻

サイド6-0で勝ち

グレートキャッチャーでミュウミュウwith1エネ、ボスでデデンネをそれぞれ食って勝ち。先攻の優位を全面に押し出して勝つことができました。ミラーでデデンネGX出すの弱いと思う。

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以上5戦で、勝ち点9のオポネント55で15位でした。3戦目のお相手が最高の動きでこちらの弱点突いてきたのが本日の分かれ目だったと思います。

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構築時点でムゲンダイナ系統と雪道系統を厚めに見ていたのですが、どちらもまったく当たりませんでした。これでベンチバリアまで入れてたらひどい当たり運になるところだった。

その辺りの枠の都合で、3枚目のマニューラGXとレッド&グリーンの採用を見送っていたのですが、後者はともかくマニューラGXの3枚目は入れるべきだったなぁと反省しております。博士2枚の採用は、シルヴァディGX型でない都合でドローソースの追加と、新規のガラルファイヤーの登場によりレッド&グリーンへの依存度が下がったことが理由です。

その他、プレシャスボール、リセットスタンプ、メガミミロップ&プリンGX、アーゴヨン&アクジキングGX、カイリューGXなどの採用を検討していましたが、すべて枠の都合で不採用です。アゴアクジを抜いたことで非エク、ミミプリを抜いたことでタッグチームにそれぞれ薄くなりましたが、裏目にはなりませんでした。リセットスタンプは欲しいけどこのデッキでは撃ちたい時に絶対撃てない....。

本日はジャンケンがありえないほど弱かったのですが、後攻でも強い動きができるデッキのためあまり気にせず戦えて良かったです。追加デッドムーンGXは一度も撃てませんでしたがやりたい放題できたのでヨシ!

今後も機会があれば公式or非公式大会に積極的に参加していきたいです。

景気付けにチー牛温玉付きを食べて挑んだ。f:id:yamayama_98:20210710171754j:plain

メモ:正しく嫌うということ ② 〜 自分を嫌う

先日の記事の続きです。

メモ:正しく嫌うということ ① 〜 嫌いなものを嫌う - やまやま倉庫

 

つい最近、ちょっとしたきっかけで、私が自分の感情や欲求を抑圧している事実から目を背けているのでは?という疑念を抱いた。私はいつも自身の脳内を言語化するようにしているのだが、言語化はあくまで一対一対応の写像ではないので、言語化によって脳内を整理することは常に欠落を抱える手続きである。この欠落を意図的にコントロールして、認識すべき自己の感情を歪めていた容疑が私にかかったのだ。

この疑いがかかって、私は初めて自分を正しく嫌う必要性を認めた。それまでは、どこかでそれをできているつもりになって、自分は自分を好きであると言い聞かせていたように思う。それは今までのどこかで必要な虚偽だったと思われるが、自分を好きでいなくてはならない頃よりずいぶん余裕を獲得して、今に至った。

さて、前記事からここまでが今回のメモの前置きである。自分を正しく嫌ってみて、明かされたものが何であったか忘れないための記事を書こうという趣旨だ。だったのだが、分けたり日を跨いだりで備忘録としての価値が薄れつつある。頭悪いのかな?ここから先は文字通りメモになるので、乱長文が目立つと思われるが、ご容赦願いたい。

まず自分を咀嚼するに当たって、幼少期の自分を思い返してみた。小学校低学年くらいまでの自分は、およそ野菜と怖いもの以外はなんでも好きだったと思う。自分も含めた好きなもので自分の世界が満たされていて、好きなことだけして生きていた。人より少しばかり勉強が得意だったので、進んで難しい物事に触れていこうとしていた。それで褒めてもらうのを喜んでいた。それと少し目立ちたがりだった。運動が嫌いではないが得意でもなかったので、それ以外で活躍しようと舵を切っていた。うん、当時の私は何も考えず自分を好きでいたと思う。

小学校の半ばから、勉強ができて目立ちたがりで、先生の言うことをよく聞く私は周囲から疎ましがられ、何度かいじめに遭うことがあった。同級生は「ちょっと悪いこと」にはまりだし、少しずつエスカレートしていく。この頃から、ルールを守らない人はルールを守る自分のような人に攻撃的になるのだろうと思い、敵視していた。さらに、そのような人たちが総じて自分より勉強が不得意だったため、頭が悪いからそうなるのだと決め付けていた。自分の勉強が得意であることに希望を見出し、私は嫌いな人種とは明確に別の存在であると距離をとった。当時のこの処方は一応有効で、周りを憎むことはあれど自分を嫌いになることはなかった。別の存在なので。つまり危うさはあったが、まだ自分のことが好きである。

中学校に上がって、周囲の「ちょっと悪いこと」は勢いを増す。私はといえば、成長期で体が大きくなって基礎体力が向上したり、部活で音楽を始めて友人をたくさん獲得したりと、順当な中学生活を送りつつも、依然として周囲から攻撃的な視線を浴びているように感じることも多々あった。私の勉強好きはここらでピークを迎え、勉強の過程や結果で新たな環境に入り、そこで友人を得るような経験もできた。学校で勉強することに止まらず、図書館で専門分野のハードカバー本を読み漁ることすらあり、物理学にハマり始めた。「音楽を通じたコミュニティ」、「勉強の結果で得られたコミュニティ」がそれぞれ形勢され、好きな人を私にたくさん提供してくれた。その過程で恋愛沙汰も起こし、これは見事に玉砕した。その事件を経て、自分は今のままではダメなのかもしれないと考え始めることになった。それまでの自分を嫌いになる最初の兆しが、ここにあったのかもしれない。とはいえ、勉強が得意な自分でいれば周囲の嫌いな人たちと別の存在でいられたことには変わりなく、人当たりとか言動とかが自然になればいいかな、くらいの微調整が望まれていた。ここでいう”微”調整は現在の視点であり、当時はそれだけで周囲に同化するのではないかという恐怖がけっこうあった。そのためこの微調整に際して、自分が周囲とは違うという刷り込みは加速されたように思う。優秀であることが、周囲の嫌いな人とも親しく振舞うことへの免罪符であった。うーん、自分が好きだったかどうか怪しくなってきた。優秀な自分はまあ好き、嫌いな人と似たような言動してる自分は嫌いだったかもしれない?あくまで自己認識の上では自分が好きなつもりではあった。

高校に入学した。優秀だったので自分が一番行きたかった高校に推薦で合格できた。この環境は今までと圧倒的に違っており、何より暇つぶし感覚で犯罪を犯す人が身の回りにいない。ちょっと真面目だったり、勉強をしていたところで異端にみられることもない。していなくてもみられなかったが。ここで私は、今まで通り優秀な自分を信じていろいろガムシャラにがんばっていればよかったんだと思う。しかし、地元の何の変哲もない公立中学と都内有数の進学校の勉強料の差には面食らった。特に英語は中学で満足できたレベルがまったく足りておらず、序盤から大きく突き放されていた。このときの私は、頑張った上に自分の優秀さが否定されるという事態を危惧したのか、今までできていた程度の勉強量をすぐさま放棄した。労せずして暫定非優秀に甘んじた。数学は中学時代に高校の内容も勉強していたので、部分的に優秀な結果を出して尊厳を保った。それも長くは続かず、一年の終わり頃には優秀と対極にいた。努力と引き換えに私は、集団の中で自分の存在感が放たれていればそれでよいという妥協を繰り返していた。優秀じゃないだけである程度目立つので、それ自体難しくはなかった。一方でただ頭の悪い人は、当時の自分の基準では嫌いな人なので、自分がそうなることをおそれて、勉強以外で優秀であろうとした。全国規模の物理系コンテスト予選で悪くない成績を出したり、音楽系の部活で練習を頑張ったり。そして気付いたら私は部長をやることになり(というか自分で志願して)、ついに自分の能力証明に他人を巻き込むことになってしまった。自分が信頼されるのが嬉しい一方で、とても不安だった。そしてこの不安は的中した。私はもう頑張り方を忘れていた。このときの部活の人には本当に迷惑をかけたと思う。自分が優秀だと信じたかったやつがリーダーになって、そいつは優秀でもなんでもなくて、責任を背負えるような人間ではなかった。今私は、このときの私が明確に嫌いだ。それでも当時の私は、それ以前より大きく恵まれた友人たちの中で、存在していたかった。自分の組み上げた価値が大きく揺らいでいて、崩壊しそうなことがおそろしかったので、自分を人に露出させたくなくなっていた。それがまた大きく迷惑をかけることにつながった。

私は罪深かったが、私を囲う友人たちは基本的に私を拒絶しなかったし、変に持ち上げることもしなかった。ただ友人であり続けていてくれた。自分に友人としての価値があると思えなかったので、いつ見切りをつけられるかもわからない恐怖があり、自分勝手に萎縮していた。2年間前後、このような不安定な精神状態でいたと思う。その間、本当に文字通り潰れていたり、優秀さとは別の土俵で自己をアピールしたり、稀に局所的な優秀さを残したりしながら、自分の価値が暴かれることをおそれていた。当時はもう大好きな物理や数学すら頑張っていない。優秀さを示す道具に成り果て、頑張ることは暫定非優秀と暫定優秀の間の壁を取り払う行為だったからだ。周囲の支えがあり、なんとか部長の任期を終えた。この頃から、なぜ周囲が支えてくれるのか、友人であり続けてくれているのかが本当にわからなくなっていて、そのことばかり考えていた。人にきいて回ったりもした。この泥臭い情報収集は意外にも効果があって、友人ひとりひとりが私に期待している私像が全員バラバラであることがわかった。私が私に求める私像とも少しも一致しなかった。この情報は私の肩の荷を少しばかり軽くし、ただ周りに愛してもらえることに感謝し、そうあれる自分であるよう努めようと思えた。そうすることでしか、友人を失わずにすむと思えなかった。

私の本当にタチの悪いところは、この期に及んでまだ自分は自分が好きな生き物だと呪いのように自分に言い聞かせていたことだ。この呪いがどこから生まれていたのかは定かではないが、自分が好きでない自分を抱えて生きる意味はない、というような思想を長らく持っていた気がする。この強烈な呪いのせいで、高校以降の私はひどく迷走した。今もしているかもしれない。ただ何はともあれ、「人に愛されることで価値を担保された自分」を全面的に肯定する形で、私は高校生活を終えた。

自分を愛してくれる人々を獲得していたので、大学に入ってから大きく迷走することはなかった。しかし依然として、物理や数学に全力を出すことはできなかった。中学当時からの感覚が生きていたので楽しいと感じることはできていたが、本当に楽しかったらもっと勉強していたと思う。道具に成り下がった学問は、喉の通りが悪かった。不安定さはない中で、大学で学んだ人生訓も多かった。最大のひとつはこのメモの題でもある、正しく嫌うということである。多様な人間の中でコミュニケーションを成立させるには、人を正しく嫌う必要があった。

さて、長きにわたって自己評価の変遷を振り返ったわけだが、いよいよ現在の自分を評価する時が来たようだ。私は今でも多くの友人に恵まれており、その存在に支えられている。そんな友人たちに愛される自分は、とても好きだ。でも結局、どんなところが愛されているのだろう?勉強が優秀な自分、はとっくにいなくなった。不勉強な自分は嫌いだ。大学院生はもっと勉強するべきだ。物理学も本当に美しい学問だと思っている。中学終わり頃から育ててきた、気さくな自分、これは結構好きだ。石ころみたいに顔をしかめて真面目に生きていても、今のような友人関係は望めなかっただろう。親しみやすさは得だ。勉強以外のことで、細々とした優秀さを時たま発揮する自分、これは好きっちゃ好きなんだけど、いつも本気出してくれないかなとも思う。実は大学に入ってい以降もしばしば懲りずに自分を重要な役職へと追いやっていた。大学ではあまり致命的な雑魚っぷりを発揮してはおらず、最低限の活躍はできたと思う。だが頑張り方にやはりムラがあるのだ。つまるところ、怠けているときの自分は嫌いだ。本当に改善したい。音楽をやっている自分は好きだ。すごく上手なわけじゃないけど、楽しいし、自己表現とは切っても切り離せない人間になってしまった。じゃあ自己表現と切っても切り離せない人間な自分は・・・・難しいな。目立ちたがりはそこまで悪いことじゃないと思うし、嫌いじゃないかな。野菜が嫌いな自分は、嫌いだ。なんでも好き嫌いせず食べる方がえらいのは間違いない。野菜が嫌いなことでキャラ立っちゃってる自分はぶっちゃけ好きかもしれない。それはそれとして食べろよと思っています本当です許してください農家の皆様。

こうして列挙してみたが、思っていたより自分は自分のこと好きなのかもしれない。重役をこなしたことで、高校時代に強烈に感じた(上で秘匿していた)自分への嫌悪感が払拭されたことは大きい。がんばってみてよかった。自分の中に、明確に嫌いな部分、好きな部分、どうでもいい部分がたくさんある。総合的に好きか嫌いかでいったら、やっぱり自分は人を嫌うことが嫌いなので、緩やかに好きに転じていくだろう。しかし、嫌いな部分を直視することをやめないでいようと思う。そうでなければまたきっと同じ失敗を繰り返し、袋小路な価値の模索を始めてしまうだろう。そして自分の好きなところを、少しでも失わないように守っていこうと思う。(これを書いている途中でも、前より少し気楽に物理やってる自分がいて、また少し自分を好きになれそうでうれしい。)オチとかないんですけどメモなのでこれで終わりです。

メモ:正しく嫌うということ ① 〜 嫌いなものを嫌う

ここ数年、物事を正しく嫌うことを目指している。例えば私は、調理法の違いによってネギを、美味しく食べられたり不味くて食べられなかったりする。不味いと感じるときの不快感は主に、ひと噛みで咀嚼しきれないことと、植物の水分にある独特の甘みからきているらしい、と分析できた。これに類似して、白菜など葉物野菜の芯の部分がひときわ苦手なのも、同じ理由かもしれない。自分は白菜が嫌いだと認識しているが、実は芯以外はそんなに嫌いではない可能性も、あったりなかったり。

この手続きで私が白菜嫌いを克服したような訳では一切なく、依然として嫌いなままなのだが、人に同様の手続きをしたときには明確な利点があった。

以前の私には、”頭の悪い人が嫌い”だとか、”何も行動せず不平不満を抱えるだけの人が嫌い”だとか、そういう基準がやたらとあった。たぶん私は、人を嫌うという行為にエネルギーを消耗するタイプなのだ。かつて周りに嫌いな人が溢れていた時に、消費エネルギーを節約しようとして、こういうラベリングによって、個人を嫌うことから目を逸らしたのだろうと思う。しかし歳をとるに連れて、自分の周りには好きな人が増えていった。そうなってもかつての基準は健在で、結果として、「好きな人なのに嫌いな人」を生み出す事態になってしまった。これは大変エネルギーの消耗が激しく、ずいぶん長いこと損失を生んでいた思う。ここで上記の手続きが活躍する。

基準制から一度離れて、人の中に好きな部分と嫌いな部分があることを認めた。それにより、私はこの人のこういうところが嫌いなだけで、その人のすべてが嫌いな訳ではない、という着地点ができた。好きな人を好きなままでいられるのは心地が良かった。そしてこれだけに止まらず、「嫌いな人」を「嫌いなところがある人」に緩和することができた。これが本当に便利で、人を嫌うことで消耗するエネルギーが格段に減った。今年度のインフルエンザ感染数くらい減った。接客業のアルバイトをしていたときなどは特に、この差分のおかげでなけなしの精神力をずいぶん保護することができたと思う。基準を設けて人をラベリングすることは一貫性があるようだが不便で、嫌いなものだけが嫌いなのだという雑なルールのほうが優れていることに気づけた。

このような経緯で、正しく嫌うということを自分の中で目標に掲げ、難なく実行してきた。だがこの手続きにおいて、意図して避けていた対象があった。それは、自分を正しく嫌うという行為である。

長くなりそうなので一旦切って続きは明日書きます。今日は青汁飲んで寝る。

 

卒論(一般相対性理論と重力波についての話です)

前々から卒論掲載するぞと言っていたのでいよいよ投稿です。

大学で学んでない人でも相対性理論を理解できるような卒論を目指したのですが、根気が足りず理念には程遠いガラクタができあがってしまった。

この先やる気が湧いたら章ごとの解説を加えたいと思っています。思っているだけです。

※追記

字ちっっちゃすぎてスマホじゃ読めないので後日文字大きくした画像貼り直します。

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書き初め 2021年春

毎年恒例の書き初めをやりました。

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見賢思斉という四字熟語で、「賢を見ては斉しからんことを思う」と訓読します。賢い人を見ては自分もそのようになりたいと思うことを意味します。

今までもいろいろな人から学びを得てより一層賢くなりたいと願って生きてきましたが、自分の溢れ出る傲慢さを垣間見ることも多々あります。今年は就活、修論という今までに経験のない難関と複数会敵しますので、それらに取り組むに当たって一度、謙虚さを取り戻しておこうという気持ちでこのような抱負を立てました。

書の出来栄えとしては可もなく不可もなく....もう少し改善できる気もするけど満足できるっちゃできる。母が上手すぎて敵う気がしない。まあ見の字はかなりいいんじゃない?紙の折れ目に妨害されているけど。

来年は新品の紙で書きます。

麻婆納豆(レシピメモ)

麻婆納豆を創造したところ美味しかったので備忘録としてレシピ置いておきます。

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材料(成人男性2人前)

⚪︎納豆・・・2パック

⚪︎にんにく・・・2~3欠け

⚪︎しょうが・・・1欠け小

⚪︎ネギ・・・適量

⚪︎甜麺醤・・・大さじ1

⚪︎豆板醤・・・小さじ2ほど

⚪︎料理酒・・・大さじ1

⚪︎鶏ガラ(粉末スープ)・・・小さじ2

⚪︎醤油・・・大さじ2

⚪︎塩・・・小さじ1

⚪︎砂糖・・・小さじ1

⚪︎白胡椒・・・1振り

⚪︎味の素・・・1振り

⚪︎水・・・200cc

⚪︎片栗粉・・・適量

⚪︎ごま油・・・大さじ3

⚪︎ラー油・・・好きな量

手順

1. にんにくとしょうがをみじん切りにします。面倒だったらチューブでもいいです。すりおろしでも構いません。

2. フライパンにごま油を引き、にんにくとしょうが、納豆を炒めます。このとき、納豆のネバネバに包まれると火の通りが悪くなるのでみじん2種はフライパンの中で分けておきます。

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3. にんにくがコンガリしてくる頃合いで、甜麺醤と豆板醤をごま油に馴染ませ、料理酒をいれて全体を混ぜます。

4. 水、醤油、砂糖、塩、味の素、鶏ガラ、白胡椒を入れ、煮立ったら火を弱めて水溶き片栗粉でとろみをつけます。最後にネギとラー油を適当に入れて完成です。

私が作る際は豆板醤を切らしていたのでコチュジャンで代用しました。大差無いと思います。またみじん切りの細かさですが、丼ものの宿命として途中で飽きが来るので、ちょっと粗く切っておくと食べてるときアクセントになって良いです。

麻婆の餡のトロミと納豆の粘り気がほどよく絡まり、豆の旨みがつまっていてとても美味しいのでぜひお試しください。

剣盾S7シングル使用構築〜キザンゴリラ〜(最高828位、最終2892位)

たぶん今までで一番マジメにポケモンのオンラインやったので記録に残しておきます。

 

低画質わろた

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【構築経緯】

カプ・ゴリラが解禁されたので使おう

→ゴリラパッチラプラスの並びが攻め守りともに相性良さそう

→パッチより余った枠に適当に入れたキザンの方が活躍している

→キザンゴリラ+1の基本選出が決定

空前のエースバーン大流行の最中なぜかこれがまかり通ったので形にしました。

 

【個体紹介】

ゴリランダー@ラムのみ

ウッドハンマー グラススライダー ドレインパンチ つるぎのまい

いじっぱり グラスメイカ

努力値:92-252-12-0-4-148

実数値:187-194-112-*-91-124

Aぶっぱ S60抜き あと余り (5-7-5)

 

構築のスタートにして不動のエース。高火力+先制技で器用に崩していく。

主な起点はカバルドンドヒドイデナットレイ、水ロトムカビゴン、グラスラ圏内のふいうち撃ってきそうなエースバーンなど。

後述のキリキザンと併せて展開コントロール力が極めて高く、キッスやエースバーンに下克上することもあった。

特に注目したいのは相手へのダイマ強制力で、舞ったあとのグラスラは半減でも無視できない負荷をかけるため、相手は先にダイマを切らないとのちの撃ち合いにリソースを残せなくなる。

グラスシードとかきせきのたねとか試したけどラムが一番使い勝手よかった。調整は適当だったけどアッキミミッキュとの撃ち合いで一度も負けなかったのでたぶん正解だった。

A+2のとき

ウドハンでドヒドイデに高乱数1、グラスラでカバに確定1、エースバーンに67.7~79.3%、無振りドラパルトに64.4~75.4%

 

キリキザンきあいのタスキ

アイアンヘッド ふいうち ステルスロック メタルバースト

いじっぱり まけんき

努力値:252-252-0-0-0-4

実数値:172-177-120-*-90-91

反射ダメとふいうちダメ最大のため努力値配分はほぼ一択

 

エースバーン流行を見て反射技持ちとステロ持ちを探していたら出会った。まさか最後まで入れることになるとは思ってなかった。

主な仕事はステロ撒きと、カバルドンナットレイなどのゴリラの餌を呼び出すこと。メタルバーストは決まればお得くらいの気持ちで。とはいえステロくらいならGFで回復するのでステロ撒き要因にしては反射も決める。ふいうちで最後に一仕事できるのが偉いし、ふいうち読む相手にステロ撒くのも気持ちいい。まけんきも発動機会が多く、夢御三家解禁直後に流行った威嚇サイクルへは高い選出圧をかけたと思われた。ダイマックス技を無理やり受けてふいうちみたいなこともしばしば。

こいつとゴリラがエースバーンを強烈に呼び込みながらも、グラスラ圏内までの削りをひとりでこなしてくれるため、ゴリラを通す上で最高の縁の下となった。ゴリラで気持ちよくなりたい人に一度使ってみてもらいたい。

シーズン終盤、ゴリラをキッスで見る構築が増えてから選出率が落ちたが、初手キッス偶発はこいつにダイマ切るのが正解だと終了間際に気づいた。もったいないことをしたと思う。

 

ドラパルト@こだわりスカーフ

りゅうせいぐん シャドーボール 10まんボルト かえんほうしゃ

おくびょう すりぬけ

努力値:172-0-0-252-0-84

実数値:172-*-95-152-95-190

Sは最速120抜き

 

ダイジェットでゴリラを落としたやつらを上から絞めるのが一番の仕事で、ダイマもこいつに切ることが一番多かった。

最も安定して勝てる選出がキザンゴリラドラパとなっていて、ステロ+ふいうち+グラスラで疲弊した相手を掃除していくことに期待して組み込んだ。ドラゴンアローほしかったし耐久も素早さも火力もダイウォールもほしかった。パッチ入りに優先的に出したが弱点保険が怖くて結局殴りにくかった。最も数値不足に悩まされた枠だが贅沢は言えない....。終盤特に流行ったおにみがドラパにキザンからつなぎやすかったのはグッド。いたずらごころと決め打った葉緑素エルフーンに2回殺された。

 

エースバーン@カムラのみ

かえんボール こらえる アイアンヘッド ふいうち

ようき リベロ

努力値:0-252-0-0-4-252

実数値:155-168-95-*-96-188

Dに4振ったのはポリゴンきてから振り直すのが面倒だったので

 

もともとパッチラゴンのいたところに入ってきた枠。要求はミミッキュに負けないこと、ナットやガアに隙を見せないこと、キッスにも負けないで欲しいな。くらい。このポケモンダイマ切るならダイウォール欲しい、上の理由でアイへとかえんが確定、キザンゴリラと先制技でいじめるコンセプトや対ドラパへの最低限の打点としてふいうちまでが決まり、ダイジェットが撃てないことになってしまった。しょうがないのでこらカムで行こうと決めたがこれが思いの他強く、結局最後まで使ってしまった。ダイスチル撃ったついでにS上がってるって聞くと強そうじゃないですか?(机上)

ただ何も考えないといのちのたま持ったやつに普通にやられちゃうので、耐久ラインはもっと考えればよかったかもしれないと思っている。お互いわずかに残ったふいうちエースバーンとの択が有利に運べて楽しかったのでカムラは良いものだ。

相手にゴリラが入ってる時、先発絶対キッスかスピンロトムだなこいつって思った時に主に選出した。

 

アシレーヌ@たべのこし

ムーンフォース うずしお ほろびのうた まもる

ずぶとい げきりゅう

努力値:252-0-252-0-4-0

実数値:187-*-138-146-137-80

ただのHBぶっぱ

 

有利展開で運べなさそうなときのエースバーン処理係、クレベース入り受け構築破壊用に採用。のろいカビゴンやアーマーガア、相手のアシレーヌあたりを低リスクで処理してくれたり、ダイマターンをまもるで削ったりと選出した際の仕事量はなかなか高かった。ガオガエン入りにも優先して出したが基本逃げられるので、後ろへ圧をかけられないのが辛い場面もしばしばあった。無振りでも火力があることがわかったので今度は攻め寄りなアシレーヌも使ってみたいなと思う。

 

ミミッキュ@チイラのみ

かげうち じゃれつく みがわり のろい

ようき ばけのかわ

努力値:12-244-0-0-0-252

実数値:132-141-100-*-125-162

 

終盤増えてきたスピンロトムがきつすぎたので、それまでいたチョッキラプラスを抜いて投入、こいつが入って一応完成となった。ダイマ枯らし性能の高さが一級品で、じゃれ外しの恐怖も一級品。特筆することはあまりないが、ミミッキュミラーで皮剥がすことだけは責任を持ってほしかった(3連麻痺)。

 

【総評】

キザン ゴリラ ドラパorエスバ が基本選出だったが、展開がキザンの仕事量に左右されすぎて択が常にハイリスクハイリターンだった。ただでさえふいうち持ち2体入れてるのに。選出率はちゃんとカウントしてないけど体感 ドラパ≧ゴリラ≧エスバ>キザン>アシレ>ミミッキュ (基本選出....?) 。ガエンミトムやキッスミトムみたいなよく見る並びが普通にしんどかったし、耐久厚めにしたじゃくほ持ちも困っちゃったので欠陥構築だなぁというきもち。あと終盤みんなゴリラ厚く見過ぎでしょ。

終盤までいろんなポケモンが開発され続けていて、腕だけで対応しようとしていたのが厳しくて最後の1日を駆け抜けられなかった気がする。ただ初めて真剣にランクバトルやったら存外に楽しかったので来期も楽しい構築みつけたい。ていうかスタートのゴリパッチラプラスちゃんと詰めれば強そうなんだが。

 

最高順位は最終日の828位で、レートは1870だった。そこからずるずる負けて果ては回線切れなども起こし2892位まで落ちた。最終3桁目標に据続けたいけど最終日の負担やべーのであんま頑張れないかもです。